trajectory

思いついたことや考えたことの記録。ブログの目的は情報の対称化(判断材料の提示、標本収集など)です。雑記やはてブの補完なども。更新はムラあり。

はてな村のレモン市場

5/4 15:30 若干順序を入れ替えるなどして整理&補筆。

 

 憲法記念日ですね。

 日本国憲法に謳われる、国家権力からの精神的自由(思想及び良心の自由、信教の自由、言論の自由表現の自由内心の自由、学問の自由)を、今後も大事にしていきたいと思います。

 

 前回の記事、望外に大勢の方にお読みいただき、反応もいただき、ありがとうございます。公開してみてよかったな。

 公開してみたはいいが、読み直すと説明不足だったと感じる箇所が多く、何点かは補足したのだが、大事なことが漏れていた。

 前記事の前提となるいくつかの記事にリンクを貼って済んだつもりでいたのだが、それで足りる訳がないのだ。

 id:Shin-Fedor さんとid:sametashark さんのやりとりから生まれた記事の、何に感銘を受けてブログを立ち上げたのかが書いてない。

  はっきり言葉にしないと誰にも伝わらない。1年後の自分だって覚えているかわからない。はてブはそのためのメモに使ってるとこもあるんだけど、あいにく記事に付けたブコメは違う観点からのものだった。

 改めて。

たわわ広告の件での対話と、議論が噛み合わない理由の推論【4/26追記:気になったブコメに返信しました】 - はてブの出来事

【逆視点】id:Shin-Fedor氏との議論で私が考えていたこと。 - 冷めた鮫にはヒレがある。

たわわ対話の件。お礼と感想(追記あり3) - はてブの出来事

 

 id:Shin-Fedorさんとid:sametasharkさんの、相手を一人の個人として扱い、対話する姿勢。

 もう一つ、id:Shin-Fedorさんが記事で何度も言葉を変えて表現している、「少数派で何が悪い?多数派だったら偉いのかよ」「空気を読まず水を差そう」「藁人形を叩くのはやめよう。何でもすぐ陣営の戦争にするのはやめよう。人の話を聞こう」「表現の自由は誰にとっても大事だし、誰もが性差別には反対している。全員が表現の自由戦士フェミニストだろ」という、眩しいほどまっすぐな考え方と価値観。(私の要約なので、誤読であれば失礼)

 id:sametasharkさんがアンサー記事を書いたのも、id:Shin-Fedorさんのその姿勢を見たからだと思う。勝手な代弁だけど。(全然違ったらすみません)

 

 それらによる心理的安全性がなければ、いろいろ吐露するブログは書いてなかったです。増田で満足してたかも。ので、お二人の真摯さに大変感謝しています。

 

 あと、ブコメで感想・意見等くださった方、ありがとうございます。基本、反応は鈍いですが、見えてる範囲で見せていただいてます。

 

個人的なスタンス。

 私はあの質問でいうと、

  • 男性目線のいやらしさを感じる。→思う。
  • はっきり言って不快だ。→思わない。
  •  新聞広告としては止めるべきだ。→思う。

の立場だ。

 いかにも男性向けの性的な含みがあるし、意味不明なシチュエーションのイラストだが、そこまで不快ではない。絵柄の可愛らしさのせいかな。線がキレイだし透明感がある。ただ、新聞広告としては不適切だと思う。

 

 「id:nowa_sはたわわ広告の絵を不快だと感じている」と思われた人も多かったようだが、不快ではない。引っかけるつもりはなかった。ただ、めんどくさかったというか…言い訳になるけど、idを出したブログでは先の記事が初投稿だけど、その前に増田を何本か書いてたんすよ。

 そっちで自分のスタンスをはっきり書いてたから、何度も似たようなこと書くのがダルかったというか、リンク貼ってあるし、読んでくれれば分かるかなーって。怠惰は悪徳じゃなくて美徳と思ってる口なもので……。

 まあ、私だってリンク先まで見に行かないだろうし、今後はできる範囲で引用や前提の説明を試みたいと思う。生来うっかりしているので、抜けはあると思うけど。

 反省し、引用しておきます。 

**日経たわわ広告について、

  • 男性目線のいやらしさ、男性からの性的視線を感じる。
  • 一般紙の新聞広告としては不適切だと思う。業界紙タブロイド紙、雑誌などでは問題と思わない。
  • 女子高生を性的に扱っており問題だと思う。
  • 特に不快ではない。
  • 性的な要素の水準は(一般紙の新聞広告としては)黒寄りのグレーゾーンだと思う。
  • 女の子は可愛いし、画力も高く、絵柄としてはわりと好み。
  • この話題に「表現の自由」が出てくる意味がわからない。月曜日のたわわをヤンマガで連載する事も、広告が日刊ゲンダイ週刊現代に載る事も、一般の書店で中高生が買える事も、問題ないと考える。小学生にはちょっとどうかな。ただし、法規制・行政の規制ではなく、業界の自主規制等で対応すべき。

 

  • 日経が謝罪すべきとは全く思わない。「ご不快」メソッドなら出す意味がないどころか有害だと思う。たわわ広告の全面掲載を問題視するのは「不快」云々ではない。
  • たわわと絡めず、「日経新聞社は未成年を性的に扱うことを容認しない」というメッセージを何らかの形で出してほしいとは思う。国連女性機関からの抗議については、同機関と日経新聞社の間のことなので、正直あまり興味はない。
  • ただ、「未成年を性的に扱う広告」へのスタンスを明らかにするために、日経は何らかのアクションをとってほしいと思うし、経過は気にしている。

 

  • 広告に巨乳を出すな、女子高生を出すなと言っているのではなく、広告に大きな胸の女性や少女の表象を使うなら、できるだけ性的でない描写をしてほしい。
  • 大きな胸の女性や女子高校生はそれ自体が性的アイコンという訳ではないから、「萌え絵」でない漫画やイラストでは現に性的でない描写がされている。
  • 大きな胸の女性の、性的でない二次元表象はまだ少ないので、個人的にはもっと増えてほしいと思っている。実在の人物ならそれなりにいる。「巨乳」扱いされていないだけで。
  • 漫画やアニメの中で巨乳をドエロく描くのはそれこそ表現の自由の話で、見なけりゃいい、not for meの範囲。
  • しつこいけど、広告は違う。見たくない時や場所や場合でも見える、見させられるから。

 

 そんな感じです。

 

一人一派でいいんじゃね?

 

『広告を受け手が批判・応援する』自由を否定する人はほとんどいないと思う

 

不快だという主張をやめろとまでは誰も言ってないよね

 

 それは何より。

 実際たぶん、原理主義的に極端な自由派や規制派はほとんどいない。

 差別発言や残酷描写やポルノでも一切制限されてはならないというアナーキスト的な人や、宗教的な潔癖さで子供に見せるものを制限すべきという人はあまりいない。

 いがみ合ってるように見えても両「陣営」の人々は大体よく似たあたりにいて、ただ個々の信念や体験により、些細ながらも決定的に違うところがあるんだろう。

 

自分を規制派とレッテル貼りするなと言いつつ「表現の自由戦士」はセクハラ野郎だと悪魔化するのは卑怯。

 

自分が共感しない相手には「戦士」などとレッテルを貼り、なおかつ自分は「規制派」と括られたくないというのは些か都合が良すぎる

 

 レッテルが嫌というか、まあ自分を規制派とは思わないので嫌だけど、貼られるのは仕方がない。「そんなふうに呼ばないでほしい」と言いはするけど、言われてどう対応するかなんてのはそちらの勝手だ。

 私はレッテルを細分化したい。

 たわわ広告を問題視しないのが自由派、問題視するのは規制派。それで十分な人はそれでいい。

 が、私は問題視しない人たちの中でも「えちえち巨乳女子高生の何が悪いもっとやれ」派と「正直不快だが、表現の自由を守るため、不適切とは言いたくない」派は分けて考えたいし、山谷えり子高市早苗みたいな宗教右派とは一緒にされたくない。害悪性の強いクラスタをできるだけ狭く特定したい。

 そうやって分けていくと最終的には一人一派になるが、そこまではしないまでも、ある程度使える分類ができたら便利だと思う。

 「自分はこれを大事にしたいから○○派」とひそかに自分を規定するのもありだし、他人の勝手な規定に腹を立てるのもまた一興。

 別に陣営の戦争してんじゃないんだし、一人一派でいいんじゃね、と思う。

 

オタク男性と表鬼くん。

 

オタク男性について。

 前回記事の

自らもオタク趣味を持ちながら女性が多いジャンルや表現を貶め、隠れているオタク女性を晒し上げてはおもちゃにしていた姿の記憶が強く、オタク男性へのシンパシーの低さは、

男性オタクに苛められてたこと絶対に忘れないから 追記

の増田に近い。

 には前提があって、これはShin-Fedorさんの「オタクへのシンパシー」への反応なんだ。Shin-Fedorさんはオタクにシンパシーがある。

 

 それを受けて、私はオタク男性へのシンパシーは薄い。と書いた。

 別に、非オタク男性よりオタク男性のほうが嫌いとか、軽蔑してるとか、そういうことではない。単に、オタク趣味同士という仲間意識や親近感は特に覚えないというだけで。

 オタク男性がオタク女性に仲間意識やシンパシーを持っているようにも感じない。むしろ、ずっと一段下に見られていたように思う。

 「腐女子」認定されたら三段、四段くらい下かな?今の「フェミ」認定みたいに。

 

 

 オタク男性は単にオタク趣味を持ってるだけの男性だ。非オタクの男性より特に加害的とかセクハラが多い訳じゃない。非オタク男性より特に善良だったり誠実だったりもしない。そして、加害性を出す場が少し違うだけだ。

 痴漢やセクハラ野郎は、みんな一見普通の男性だった。見るからに怪しい人はいなかった。趣味までは知らない。

 

男性オタクに苛められてたこと絶対に忘れないから 追記

 

 上記増田に自分がつけてたブコメ

  女はイケメンさえ出てればいいミーハーか、なんでも「ホモ」にするモンスター扱いだったよね。/オタクは弱かっただけで別にヤンキーやジョックより特段善良な訳じゃないのに、「俺ら優しいのにな」って顔はするんだ 

2019/03/25

 

 

『自由戦士』改め『聖騎士』改め『表鬼』とか。

 

 前回記事の『表現の自由戦士』という呼び名について触れた部分:

 巨乳表象を使った広告への批判を「胸の大きな女性が叩かれて(差別されて)いる!」と短絡し、批判者を貶して「巨乳の味方」のつもりでいるらしい奴ら、

 人権全般を疎みながら自由権を掲げ、広告含む表現への批判・批評を「表現物を焼く」「放火」「殴る」などと呼んでガチの規制との違いを考えもせずに黙らせようとし、女体のエロ表現を場所を選ばずに消費する権利こそが「表現の自由」だと主張する奴ら、

 少しでも気分を害したらイナゴのように群れて攻撃し、攻撃するにもネットミームを貼るか誰かのコピペを繰り返すか口コミレビューを荒らすことしかできない奴ら、

 が、心底嫌いで、その手の輩を『表現の自由戦士』と呼ぶことがある。

 他の人とは違う使い方かもしれない。

 

 トゲトゲしいですね。このような害悪性の高い人物像に「表現の自由」を結びつけられたことで気分を害された方、大変失礼しました。

 表現の自由は私も極めて大切に思っており(てか基本的人権だし)、不断の努力で守っていきたいものです。

 

 5/1の記事で付けた『聖騎士』も確かに、ヤマーダクエストの専売特許って訳じゃないんだよな。2番目、3番目のタイプを合わせて『表現の餓鬼』と呼ぼうかな。『表鬼』とか。

 

 表現の餓鬼とは、批判も言論であり表現であることさえ分からず「イチャモンつけるな。【表現の自由】」と必殺の呪文を叫び、何か喋ったと思えばショボい教祖のご託宣のコピペか罵倒語か差別用語くらいしか発せず、漫画家が精魂込めて描いた絵を文脈も気にしないまま人をおちょくる武器にする、ただところ構わずエロ表現を貪り食うお楽しみにケチつけられたくないだけの、エロ開陳マーキングと女叩きを生きがいとする幼稚で攻撃的で粘着質なイキった奴らをいう。なぜか集団行動が好きで、よく群れる。

 簡単に言い換えると、「表現の自由が公権力からの自由をいうことすら知らずに【表現の自由】を振りかざす、エロ開陳マーキングと女叩きを常とするイキりミソジニスト集団」が『表鬼くん』だ。群れて護エロの鬼となれ。

 

 ミサンドリストの攻撃性も大概なのだろうが(なんかオス氏ねとか言ってるのがたまに見えて怖い)、そちらの被害の実態は私からはよく見えない。見えている人お願いします。

 というのも、私は女性としてミソジニストによる加害を目のあたりにしてきたが、ミサンドリストの被害に遭ったことはない。当事者ではない者が当事者を差し置いて語るのは、必ず歪みを生む。

 その話は以下で。

 

 上に書いた1番目のタイプは性質が違うことに気づいた。これは、当事者でもない奴が勝手に「本当の○○」鑑定士を気取ることへの積年のムカつきだった。

 広告への意見や立ち位置は若干違うけど、この手の輩に対する腹の底からのムカつきは共通している面があるので、id:hepta-lambdaさんの記事を貼らせていただく。

 

「月曜日のたわわ」広告記事へのブコメを起点としたlegnum氏とのやり取り - hepta-lambda’s blog

 記事につけたブコメ。

当事者でもないくせに、オレ流「本当の○○」像を押し付けてくる奴、ほんと腹立つんすよね。「女の喜びとは」「巨乳というものは」「真のフェミなら」みたいな、お前は何の立場でジャッジしてんだよって奴、まじ嫌い

 

 「結婚して夫と同じ姓になるのが女性の幸せだろう。不幸な女が別姓を望むんだ」とのたまう男とか、

 「男の前では賢しげにせず、一歩引いて男を立てるのが本当に頭のいい女」とご高説たまわる男とか、

 「本当のレイプ被害者なら、そんなふうに顔を上げて笑ったりできないはずだ」という男(しかも加害者)とか、

 「たわわは巨乳女性のエンパワメント。4巻を読めばきっと共感できる」と絶賛する男とか、

 「○○さんこそ真のフェミニスト。他のやつらは似非フェミ」と鑑定するアンチフェミとかね。その○○さんだって有難迷惑なんじゃないか。しらんけど。

 

 ※ちなみに、胸が大きな女性の一人として、たわわ4巻はエンパワメントにはなりませんでした。女性の同級生からのセクハラ(行為・言葉どちらも)がえげつなく、精神的ダメージを受けかねません。私は全くおすすめしません。表紙で嘘だと気づくべきだった。同性に胸を鷲掴みされるエンパワメントとは如何に。

 

実際、表現の自由の話なのか?

 

 実は、萌え絵広告案件が「表現の自由」の問題だというのが腑に落ちていない。

 憲法上の表現の自由は侵害されてなくない?

 赤十字のコラボ第一弾のポスターが炎上した後も、宇崎ちゃんの単行本は普通に買えるし連載も続いた。アニメ化もしてた。第二弾のポスターは好評だった。戸定梨香はYouTubeで普通に活動してる。

 自分の性器のスキャンデータを不特定多数に送信した芸術家のように、表現者が逮捕されて有罪になったりしてはいないし、宗教的虐待の被害者の実体験をレポートする漫画のように、宗教団体の苦情によって出版停止になったりもしていない。

 

 広告の受け手が、それぞれの思想信条や良心に基づき、表現の自由言論の自由を行使して、広告表現を褒めたり批判したりする。

 批判に広告主が納得すれば(いかなくても商売上の判断か何かで)広告を取り下げることもある。納得がいかなければ「このような理由で適切だ(少なくとも、不適切ではない)と考える」と反論するか、無視してそのままなだけだ。

 広告の受け手が口々に「不適切だ」「不適切とまでは言えない」「今すぐ下ろせ」「もっとやれ」と好き勝手な声を上げたところで、決定権は広告主と広告媒体にしかない。責任と商売を勘案して、決めるのは彼らだ。

 

 広告を下ろしたとき、コラボ作品には、よく分からずに問題ある広告に使ってしまい、ごめんなさいと謝ってるのかな。納得いかないけどクレーマーが煩いからさぁ、となだめてる?

 個人的な好みとしては、広告主や媒体に は、納得いかない批判には「このような理由で適切だ(少なくとも、不適切ではない)と考える」と反論してほしい。一回やると決めたんなら、最後まで守ったれよ。

 

 

 ※議員連盟や国連機関という「権威」的なところが口出しをしてくるのはどうなん、って懸念はある。国連女性機関については、「たわわ」広告が掲載されたのがアンステレオタイプアライアンスの設立者ではないメディア(読売とか?)なら放置してたんじゃないかな。国連女性機関と日本経済新聞社の間の規約の内容については、外野には知りようもないし、興味も特にない。日経がいつ態度を決めるかは注視してる。

 議員連盟、てか戸定梨香案件については、長くなりそうなのでいずれ。

 

 

自主規制も規制だよな?

 それはそう。ただ、公権力や行政だけに任せるよりはマシだと思う。逮捕(有罪)orセーフ、有害図書指定orセーフ、誰がいつ落ちるか分からない2択のチキンレースとか怖過ぎる。

 

 同人でよくあるゾーニングやレーティングは自主規制だよね。

 商業媒体の表現も、我々のところに届く前に、既に自主的に規制/配慮されている。

 

 津波にまつわる作品を公共の電波で流すななんて法律はないけど、被災者の心情に配慮して、サザンのTSUNAMIジブリ崖の上のポニョはあまり放映されない。

 世界各地で悲惨な紛争や戦争が起こっているけど、日本のメディアでは、現地画像から遺体が映った部分にボカシを入れたりしている。

 どちらも自主規制だよね。

 

 某牛丼チェーンのマーケティング役員が社会人講座で発した「生娘シャブ漬け戦略」発言が問題になったとき、NHKは「若い女性を薬物中毒にするような企画」と表現を変えた。

 Twitterでは、(完全に自己責任の同人ならともかく、)企業として出版する「シャブ漬けは商業では無理」といわれた、という証言があった。

 どれも、企業内部のコードに即した、つまりは自主規制だよね。

 ※ただ紙の同人誌は、印刷所によって消しやボカシの規定があるという。これはウチでは刷れません、猥褻物頒布の幇助になっちゃうから、みたいな。ここは法的規制かな。

 

 TwitterやPixiv、YouTube等にも規約がある。はてなにも。法律に違反してなくても規約違反の「創作物」はBANされ、投稿者はアカウントを凍結されることがある。彼らは公権力ではないから、これも自主規制だよね。

 (TwitterYouTubeのようなインフラに近くなっている企業による規制は、実質的に表現の自由を制限してはいないかって論点はあるけど、話が膨らみ過ぎるし、語れるほどの知識はない。なんかイーロンマスクとかごちゃごちゃしてるし。詳しい人いたら頼む)

 

 映画には映倫がある。刑法175条の今の運用だと「性器を見せたら猥褻」となっているみたいだから、性器が映ってなければ法律違反ではない。でもさ、子供と一緒に観る映画でいきなりのゴア表現とか、嫌じゃん。

 映倫の詳細な審査基準は知らないけど、この描写だと何歳以下には見せるべきではないと判断してるよね。自主規制だね。

 

 既にそこにある自主規制には規制と気づいてない。それが「当然」と思ってるだけ。

 そういえば、少年漫画誌で女の子の乳首が描けなくなったのは、90-91年に起きた宮崎勤連続幼女殺害事件がきっかけだそうな。漫画の女の子の乳首を隠すことに何の意味があるのか分からないけど。女の子の乳首だけ隠れてる状態(他は裸)って、乳首描いても何も変わらなくないか?謎。

 

 これらの自主規制または配慮は、企業としての社会的責任を果たそうとしてのことだと思うよ。まあ後、あまり場が荒れると人が逃げて、商売に差し支えるし。

 

 自主規制も規制だから否定すべき、なくすよう各企業に働きかけるべき、という思想信条は結構だが、私は、一定の自主規制や配慮は必要だと思っている。

 逮捕(有罪)orセーフ、有害図書指定orセーフのチキンレースは怖いからだ。

 

 やりたい人が自主規制撤廃運動をやるのは当然、自由だ。

 週刊少年ジャンプに乳首を復活させよう、みたいな。批判はされるかもしれないけどね。

 

 

内心の自由

 増田に書いた記事は他にもあって、表現の自由内心の自由とかかな。

 参考資料として、広島県の人権啓発資料から必要箇所だけ抜粋したスクショを載せる。

 

 

 

 引用元はここの自由権に関するPDF。

人権啓発冊子「思いやりと優しさのハーモニー」について | 広島県

 ふりがなもあり、説明も平易な日本語で書かれているのでオススメ。私もこれで勉強しました。

 

 ちなみに、このブログからリンクを貼る増田は、私のきれいな(というか人に見せられる)部分だけで、『表鬼くん』の中でも質の低いのをチェリーピックして溜飲を下げるような悪趣味さや、夫や猫と暮らす幸せを書いた惚気などは、増田のままに留めておく。

 まあそういう部分、はてブでも特別に隠してはいないんだけど。書いてる自分は一緒だし。

 ちなみに、夫の外見を私はとても好きだけど、モテ系か非モテ系かでざっくり分けたら非モテ側に入る。私自身もそうだ。※猫はかわいい。😺

 痴漢やセクハラやナンパはモテではないんだ。女体しか見てないんだから。男性に告白されたことは(『たわわ』に出てくる、告られまくり振りまくりのアイちゃんと違って)、片手で足りるほどしかない。

 

記述の中の事実と感情。

 田中辰雄氏の調査から数字を挙げ、イラストの読解を説明した時に、不快に思うほうが正しい、性的に見えるほうが正しい、とは書いていない。「たわわ」広告の絵が不快だと思った、とも書いていない。言ってたら「ここ」と摘示してほしい。

 

 前記事で、

たわわ広告のイラストに含まれる男性の性的視線に、女性の45.6%は気付くのに、男性は22.5%しか気付かない。

 男性の5.8%しか不快に感じない絵を見て、女性の23.5%は不快に思っている。

 と書いた。不快に思った人は男性の5.8%、女性の23.5%だよ、男性目線のいやらしさ、男性の性的視線(まだるっこしいので、以下MG)を感じると答えた人は男性の22.5%、女性の45.6%だよ、と数字を上げただけ。

 「しか」という言葉遣いに私の感想は滲んでるかもしれないが、読み手はその感想を受取拒否したっていい。数字だけ見て、自分の感想を持てばいい。

 

 ※ 書きながら考えを整理してるんだけど、MGを感じ取り、更にその度合いが閾値を超えると捉えた人が「感じる」人、と今は考えているこの考え方については、後日説明したい。

 

 この絵(右手のボタン、左手の位置、表情)はこういうふうに読めるよと解説しただけ。それに気づいて、胸元のボタンが外れた女子高生を観賞する行為は不快だと思う人も、「意味深でえっち。いいね」と思う人もいる。そこは価値観だ。

 

 映画評論家の伊藤弘了氏は、

 ロゴのフォントの丸みや、「わ」の右下の二本線は何を示しているのか、大抵の日本人は了解できるはず、という趣旨のツイートをした。だから悪いとか、だから止めろとは言ってないのに、Togetterにまとめられた反応はひどいことになっている。

 「月曜日のたわわ」ロゴの表現力を解説した映画評論家さん、「言い掛かりだ!そんなこと考えるのはお前がスケベだからだ!この規制派のクソフェミめ!」と誹謗中傷を受ける - Togetter

 

 書いてあること(記述)をそのまま、価値判断なしでいったん受け止めることを試してみてほしい。記述の中の事実と感情を分けるというか。

 「次の信号が赤になりそうだ」

 「(む?こいつは敵側陣営のはず。なら何かおかしなことを言っているのだろうな。)赤信号で止まる気がないというのか!」

 みたいな反応はお互い疲れる。

 

 グラフの読み方にしても、たわわ広告イラストの読み方にしても、私のものより妥当な読み方を示してくれると嬉しい。別に勝ち負けとか陣営の戦争とか興味ないし、私は情報の対称化を目指しているだけなので。

 

レモンでもユズでも好きなほうを。

 やっとタイトル回収?話がなげーよ。

 「レモン市場」は経済学の用語で、私の理解だと、各プレイヤーの持っている情報の非対称性が選択肢の決定に偏りをもたらすようなマーケットをいう。

 レモンとユズの見分け方を知ってる人と知らない人がいたら、知らない人は、本当はユズがほしいのに、いつもレモンを選んでしまうかもしれない。見分け方を知っている人はユズでもレモンでも好きな方を選べる。そんな感じ。

 経済学でいう「市場」みたいに売り手と買い手がいるわけじゃないけどね。経済学は昔かじっただけなので、専門家から見るといい加減なと叱られるかもしれない。詳しくは検索するなりして、正しい知識を得てほしい。

 「その情報があれば違う意見になる」ってこと、あるよね。

 意見が違うのは当たり前だ。他者と意見が同じになることのほうが不思議だ。

 ただ、判断材料は多いほうがいいよね、ってだけ。

 

追記。-->

ブクマで

レモン市場の理解が変(で、そういう用語を無理に出す必要もない)では。情報の非対称があるとレモンとユズが選べない、ではなく、市場から良いレモンが駆逐されたり、酷いと市場そのものが消えるという、"市場の"話

 とご指摘をいただいた。確かに、経済学用語の「レモン市場」の焦点は、個人の選択云々より市場そのものなんですよね。レモンには不良品の含意があるから、本当はそこもよくない。

 個々人の意見に優劣はない。だけど情報が足りないと本来望む選択肢が選べない。だから情報の非対称性をなくし、判断材料を増やして、自分が本当にしたい判断に辿りつきやすくしよう…ってことをキャッチーに言いたかったのだけど、下手ではあった。

 ご指摘を掲示して、訂正の代わりとさせていただきます。アカロフ先生ごめんなさい。

<-- 追記終わり。

 

 意見の違いそうな他者の事実の記述(意見や解釈ではなく)を受け入れたり、「わの右下の二本線」の意味がわかると自白したりしたら負けとか、そんなふうに思わなくていいと思う。少なくともそんなふうに私は思わない。

 繰り返すけど、こんなのはナントカ陣営の戦争なんかじゃない。戦争ごっこを煽ってはゲラゲラ笑って儲けてる邪悪な武器商人に手を貸す気はない。

 ネットの限界集落はてな村にレモン市場を作りたくない。長年世話になってるしな。

 

 

もぐらと巣穴と広告と

 

 「表現」案件周辺でよく見る、もぐらのイラストがある。


f:id:nowa_s:20220503140553j:image

 

 

KEN-KEN on Twitter: "自称フェミニストの創作物批判について簡単なイラストにしてみました… "

 

 巣穴で好きな本を読んでいる幸福なモグラを地上に引っ張り出して、関係ない「第三者」の目に晒したのは誰なのか。このイラストでは「自称フェミニスト」と書いてあるけど、実際は、広告という行為なんじゃないかな?

 「フェミニスト」は精々が地上で見てるモグラの一匹。もちろんフェミ以外にも、いろんな人が見てる。オタク文化に興味のある人、ない人、オタク文化が嫌いな人。「萌え絵」が好きな人、好きではない人。そしたら望まぬ反応も出てくるよ、フェミ以外からだって。

 

 私が日経「たわわ」広告だけじゃなく、公共萌え絵広告案件に感じるのはだいたいそれ。

 「萌え絵」にはMGが一定以上含まれる。

 たとえ自分は好きでもなんでもない作品だって(最悪に気持ち悪いと思う作品だって)、そんな無神経に晒し上げられていろんな人の感想がぶつけられることになったら、気の毒に、と思う。自分の好きな作品がそんなことになったら嫌だし。

 上にも引用したけど、前回記事で書いた「隠れているオタク女性を晒し上げてはおもちゃに」されていた記憶が影響してるのかもしれない。

 

表象=レペゼン

 表象とは、哲学とか心理学とか文学とかヒップホップとか、いろんな分野の用語。

 私が「表象(representation)」という言葉を使うときは、なにかの概念を代表する像とその働き、みたいな意味で使っている。絵やイラストに限らない。実在の人物も表象になるし、俳優が演じる映画の登場人物も表象だ。

 レペゼンといったほうが通る人もいるかも。

 

 「子供」と言ったらどんな像を思い浮かべるか。それは男の子?女の子?メガネかけてる?走るの速そう?「医師」「政治家」といったら?そんな感じ。

 「○○とはこういう存在だ」という概念を象徴的な像や物語に表したものをひっくるめて、表象という。

 

日本人の表象(戦時中)

 


f:id:nowa_s:20220502211149j:image

 

 この絵は、戦時中にアメリカがプロパガンダのために作ったポスターだ。

 旭日旗のついた軍帽をかぶり丸メガネをかけ、奇妙に黄色い肌、細い吊り目に出っ歯、八の字の口ひげ、尖った耳(エルフやゴブリンみたいに、非人間的な印象の強調かな)の人物が描かれている。当時の日本の首相、東條英機がモデルと思われる。表情の意味はよく分からない。笑顔でも怒りでも悲しみでもない。東アジア的といわれるアルカイックスマイルなのかも。

 英語で、「ジャップ(日本人を言う差別語)に出くわした時のために!」「ロープを首に、端っこ持って、ひっぱれ『キュッ!』」といったようなことが書いてある。

 

 戦争が終わって80年近く経った日本に住む私は、この絵を見ると、絵に込められた悪意を感じる。不快にはなる。offensiveだと思う。ただ、切迫した危機感はない。

 しかし、当時アメリカに住んでおり、圧倒的マイノリティだった日系人はどう感じたか。想像することしかできないけど、すごくすごく怖かったんじゃないか。

 アメリカでは、自分たち日本人はこんなふうに見えている。出会い頭に絞め殺してやればいい、人間じゃない生き物に見えているんだと思って。軍人じゃなくても油断はできない。

 これは戦時中のアメリカが、日本人に振り当てた表象のうちの一つ。

 

「弱者男性」の表象

 

「自分に近い目線の表象が少な過ぎる」って男性からすれば当り前過ぎて何が問題か分からない。特に弱者男性は存在自体がすべて「ないこと」になってる。自分に近い目線など最初からない。そう言ってもすべて無視

 

 この「表象」はどんな意味で使われているのか、ちょっと掴めない。

 男児も女児も見る子供向け作品のメインキャラって、男が多くない?アンパンマンは男性だよね。女児向けなら女の子、男児向けなら男の子、それは分かるけど。

 先の東京五輪の開会式には、当時の菅首相が代表として出席したけど、男性だ。日本のゲームが次々紹介されたけど、キャラの性別は男ばかりじゃなかったっけ。

 五輪には関わらなかった任天堂のゲームで著名なものを思い浮かべる。その作品を象徴するメインキャラの性別は男だ。マリオ、ピカチュウ、リンク。(そういや、ピカチュウにオス・メスがあるってこないだ知った。しっぽの形が違うんだそうだ)

 男性には普通に多様な表象があるのでは、と思うけど、どういう意図があるのかどこかで教えてくれるとありがたい。

 

 で、「弱者男性」の表象がないという問題意識の提示、嬉しいです。私も「弱者男性」像を思い描けない。のび太とか最強伝説黒沢かな、などと想像するくらいで。

 当事者ではない私が外からいくら想像しても、当事者にぴったりくる例は出せない。「弱者男性」とはこんな人、という、少なくとも当事者にとって違和感のない像が生まれたとき、「弱者男性」問題も何か前進するのかもしれない。

 あるいは、「俺ら弱者男性をそんなふうにばかり描くんじゃねえ!」みたいなムカつく像をバチボコ叩いているうちに。

 

オタクの表象


f:id:nowa_s:20220504101731j:image

 

 オタクの表象は、近年すごくポジティブに塗り替わったものの一つだと思う。

 オタクという言葉は、宮崎勤という幼女連続殺害犯(1989年逮捕)や、ベットリした髪で粘着質な喋りのビジネスオタクの宅八郎(1991年よりTV出演)の表象と共に日本に普及したようだ。

 Wikipediaの「宅八郎」から。

お茶の間に宅自身とそれが演じる"オタク"に対する強烈な印象を与えた。ただし、この宅が扮装した「オタク」の格好は宅自身の嗜好に基づいて選ばれた服装ではなく、戯画的にオタクを演出するために、あえてダサイ服に着替えていたものだった。

 

 そういうオタク表象が一般的だった時代は、オタクとして生きるのは辛かったろうと思う。

 が、95年放映開始のエヴァが社会現象になり、しょこたんがオタクの表象になり、2022年のオタクはカジュアルだ。アニメやアイドルが好きなだけで白眼視されることはなく、中高生たちは、推しのぬいや缶バッジをつけた痛カバンで通学している。いい時代だと思う。

 

「表現と現実は別」の意味

 昔は私も、「表現(漫画とかね)と現実は別だってことくらい分かってる」と思っていた。

 ただ、実際、具体的にどういう意味なのかはいまいち分かってなかった。「生き物に電源スイッチはない。死んだらもう生き返らない」とか「"気"を集めてもかめはめ波は打てない」とか、当たり前じゃん、そこまでガキじゃねーよ、くらいの意味で捉えていた。

 それくらい分かりやすいことばかりならいいけど、そうでもないんだよな。

 

 今この記事を読んでくれている人の中に、「女の子たちは更衣室でおっぱいの大きさを比べ合い、一喜一憂している。巨乳は誇らしげだが、貧乳はガッカリしたり羨んだりしている」「若い女の子をちやほやしたらババアに邪魔された。嫉妬してるんだろうな」とか一瞬でも信じていた(いる)人はいないかな。

 

 たまにネットで見る絵だけど、

 

 カバンを何の気もなく斜め掛けにしていた女性が、「僕らはパイスラに夢中!」というコピーのついた「萌え絵」イラストを見て、青ざめた顔で胸元を隠す。

 私なら「この人は、自分が普通にしていた行為が、パイスラと呼ばれて男性からいやらしい目で見られるのだと気づいたんだな。これからは平気では出来なくなるんだろうな」と解釈する。

 前に、この絵を示されて「自分が絵みたいに胸が大きくないから恥ずかしがってるんじゃね?」とリプしていた人がいた。はあ。

 

 こういうの、現実の女性の観察から得た認知なんだろうか?違うならどこから来たんだろうか。漫画やアニメの中の女性表象がその認知のふるさとなんじゃないかな。

 それは偏ってる、現実とは必ずしも一緒じゃないんだとどこかで気付けたらいいけど、世の中にそういう表象しかなく、現実の女性との触れ合いで偏りに気づく機会にも恵まれなければ、そのままだ。

 

 いや、偏ってたってそれも人生だし、悪くはないけど、現実とのズレに期待外れを感じることは多くなると思う。あと、他人を怒らせやすくなると思う。

 

 怒ってる他人はたぶん、表象の食い違いに怒っている。

 どんな像が自分の属性の一般的な表象になるかで、生きやすさが全然違うからだ。

 

 

 てことで、いずれ続きを書きます。書けたら。

 

*いずれ書きたいこと。

**「巨乳」「貧乳」ということばの虚構性。

 

**MGセンサーの中身。

 

 ***ジャンル判定能力

 

 漫画等の絵を見て、誰向けの、どんな雰囲気・内容のものなのかを把握する能力。ほぼ全ての場合で瞬時に判定が終わる(「詳細は分からないが、自分向けではない」という判定も含めて)。

 

 年齢層:子供、少年少女、若者、大人、シニア

 性別:男、女、特になし(新聞4コマなど。九井諒子あたりもここかな。少女漫画風の端正さもあり、アクションや背景もしっかり描ける青年漫画風でもあり。/クイア向けの絵柄が確立したら項目が増えるのかもしれない。)

 性的指向異性愛、同性愛、BL/GL(自分の性別ではない性別の同性愛。GLは分からないけど、BLはなんとなく女性異性愛者向け全般とは違う、特有の絵柄の傾向がある気がする)。

 内容・雰囲気:バトル・アクション、恋愛、ラブコメ、ギャグ、お仕事、スポーツ、ホラー、風刺、ハウツー・学習、実話投稿系、18禁ポルノ含むエロなど。

 

 漫画を好きでよく読む日本人なら、たまにミスっても、大抵は間違わずに判定できると思う。

 佐々木倫子惣領冬実のように女性誌から青年誌に活動の場を移したり、ゆでたまご荒木飛呂彦のように読者とともに歳を取って少年向けから大人向けになったりと越境も頻繁だし、絵という非言語表現なので、判定の基準を言語化するのは難しいけど。

 ただ、エロは分かりやすい。対象の肉体を賞玩できるよう、陰影や質感の描き込みによる性的な誇張表現が精緻に発達している。肉感的といえばいいのかな。

 

 同じミニスカートの制服を着た女子高生を描いた絵でも、恋愛や部活に打ち込む青春少女漫画のキャラを、『たわわ』のようなタイプの若い男性向けソフトエロ漫画のキャラと勘違いする読者はほとんどいないんじゃないか?少なくとも、お金を出して読むレベルの興味があるなら。

 たわわやふたりエッチがどんなタイプの作品か、レーベルやタイトルを確認しなくても、初見で判断できるんじゃないかと思う。

 

 このセンサーの精度が低い人には、ジャンルが分からない。現代人が日本画を見て、江戸時代の絵かな、くらいは分かっても、武家のために描かれたのか、商家なのか、寺院なのかをタッチからは見抜けないみたいに。(少なくとも私には分からない。センサーがボロい。)

 そこはやっぱ慣れなんだろうな。

 

 センサーの精度は高いか低いか。「性的」と判断する閾値の設定が高いか低いか。で、「男性目線のいやらしさ」を感じるかの結果が変わってくるのかもしれない。