trajectory

思いついたことや考えたことの記録。ブログの目的は情報の対称化(判断材料の提示、標本収集など)です。雑記やはてブの補完なども。更新はムラあり。

見えてる世界が違うこと。

当初投稿からの補足を、紺色の文字で追加してます。

はじめに

 2022年4月4日、新年度最初の月曜日に日経新聞の朝刊に掲載された、漫画『月曜日のたわわ』の全面広告を巡り、ネットで論議が噴出した。5月になろうとするなった今も、様々な観点からの意見が活発に出されている。

 ブログを始めてみようと思ったのは、ネットの辺境、限界集落と称されるはてなブックマーク(以下、はてブ)の片隅で、その広告を巡る対話の中で書かれたお二人の記事を見かけたことがきっかけだ。お二人というのは、id:Shin-Fedor さんと id:sametasharkさんとのこと。リンクを以下に貼る。

たわわ広告の件での対話と、議論が噛み合わない理由の推論【4/26追記:気になったブコメに返信しました】 - はてブの出来事

【逆視点】id:Shin-Fedor氏との議論で私が考えていたこと。 - 冷めた鮫にはヒレがある。

たわわ対話の件。お礼と感想(追記あり3) - はてブの出来事


 同世代と思われる二人はそれぞれ男性と女性なのだが、言葉ひとつ、現状認識ひとつがお互いズレまくっているようだった。

 なぜそんなふうに捉えるのか?認知が歪んでいるのでは?
 なぜこんなことが分からないのか?とぼけているのか?
 こんな感じで。
 
 お二人の見えているもの、見てきたものが違い過ぎることが、すれ違いの主な要因であるようだ。
 それは、私が以前からぼんやり持っていた問題意識にもどこか通じるところがあった。

男女に見えているものの違い

 ……で、この表を見てほしい。
 たわわ広告に対する意見の例に、「そう思う、やや思う」「あまり思わない、思わない」「わからない/どちらでもない」と答えた人の割合だ。

男性目線のいやらしさを感じる。
性別  思う  思わない  どちらでもない
男性 22.5% 68.2% 9.3%
女性 45.6% 43.9% 10.5%
全体 34.1% 56.0% 9.9%
はっきりいって不快だ。
性別  思う  思わない  どちらでもない
男性 5.8% 83.1% 11.1%
女性 23.5% 64.8% 11.7%
全体 14.7% 73.9% 11.4%
新聞広告としてはやめるべきだ。
性別  思う  思わない  どちらでもない
男性 14.7% 71.8% 13.5%
女性 34.8% 50.5% 14.7%
全体 24.8% 61.1% 14.1%


 ほんとはここでバーンとかっちょいいグラフを出せればいいのだが、それはいずれということで。

 これは、SYNODOSに2022年4月20日付で掲載された田中辰雄氏の記事
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか/田中辰雄 - SYNODOS
 の、図2・図3の数字に基づいて作った表だ。
 ここにグラフを引用させていただく。


[図2]全体


[図3]女性のみ


 ※男性のみのグラフはSYNODOSの記事にはない。数字もわからない。しょうがないから自分で計算した。

 作ってみて、正食驚いた。違いがあるとは思っていたけど、ここまでとは。

 男女という単純な違いだけで、こんなにもかけ離れた結果が出る。これは何なんだろう、と思った。
 思って、増田(はてな匿名ダイアリー)にだらだら書いていた4月下旬頃、お二人の記事を見て、ブログにしてみようかな、と思った。
 正直、わりとがんばった増田記事があまり見てもらえていないようだった、というのもある。まあコッテリしてるしな。

 リンクを貼っておく。併せて読んでいただけると嬉しい。
SYNODOSたわわアンケートが開いたパンドラの函

SYNODOSの、日経たわわ広告アンケート記事の感想にいくつか補足。 はてな記法..

正直な感想、「たわわ広告に否定的な人は政治的に正しい側で、鋭く正確な..

日経たわわ広告を問題視する人・しない人の特徴と、その考察と、いろいろ。

 増田記事はいずれ編集して、こちらにも転載したいとは思っているが、いつになるかは分からない。


留意点

 たまたま、この問題、田中氏の記事では男女の違いがクローズアップされただけで、他にも違いを生む背景はあると思う。

 田中氏の調査の中でも質問されている、
漫画を読むのは好きか。絵やイラスト、漫画を自分でも描くか。
 自由と正義の兼ね合い。痴漢に厳罰を求めるか。
 どのような男女観を持つか。
 年代。婚姻の有無。子供の有無。

 それから、
 性的指向は男性か女性か、その2択では定義できないか。
 日本で育ったか、外国で育ったか。
 教育歴、趣味、触れてきた文化。
 普段見ているSNS。日常的にR18相当のポルノを摂取しているか。
 ジェンダーセクシャリティの問題、マイノリティの問題への興味の有無。
 とかね。


 あと、大事なことを忘れずにいたい。
統計で分かることは、あくまでも統計的な傾向で、個々の人とは違う。人はそれぞれ、多様な個人だ。


私の見てきたもの

 id:Shin-Fedor さん、 id:sametashark さんに倣い、ある程度自己開示する。
 私の見てきたもの、背景を知ってもらうことが、いま何が見えているかを想像してもらう助けになるかもしれないと思ってのことで、それ以上の意図はない。解釈はご自由に。
 また、一部の記述を消すことがあるかもしれない。


 1980年代生まれ、現在40歳代の女性(生まれた時から)。車社会の地方都市出身。
 満員電車が嫌すぎて、進学も就職も地方を選び、今に至る。

 漫画と小説は昔からよく読む。家族や近所に住む親戚も同じく本が好きだったので、回し読みすることでいろんなジャンルに触れることができていた。
 映画やドラマもそこそこ観る。日本語圏のものは価値観が苦手なものが多く、あまり観ていない。
 アニメは誰でも知ってるレベルの有名どころのみ。自分が子供だった頃の子供向けアニメ、ジブリエヴァ、ディズニーピクサーあたり。
 ゲームはあまりやらない。子供時代はテトリスに熱中したり、大人になってからRPGをいくつかプレイしてみた程度。今はスマホのパズルゲーを1日1回遊ぶ程度。

 親のPCで、95年くらいからネットを見ていた。個人サイトとか、ティーカップ掲示板とか、後に2ちゃんねるとか。

 2ちゃんねるでは主にオタク系板の「住人」だった。
 面白い話題があり、同じ趣味の人もいるのだが、いかんせん2ちゃんは、剥き出しのレイシズムとセクシズムとエイジズムとルッキズムとエイブリズムとミソジニーホモフォビアペドフィリアとマウンティングと、まあなんかそういう、人間の醜悪なとこ全部乗せの場所ではあった。

 自らもオタク趣味を持ちながら女性が多いジャンルや表現を貶め、隠れているオタク女性を晒し上げてはおもちゃにしていた姿の記憶が強く、オタク男性へのシンパシーの低さは、
男性オタクに苛められてたこと絶対に忘れないから 追記
の増田に近い。
 女性専用の板と、数少ない平和な(マターリと形容されていた)板の外では、性別はまず明かさなかったな。

 Twitterやインスタは主に閲覧・情報収集のみで、他人との交流はない。はてブの、短文による一方的な投稿スタイルと★の授受によるユルい承認は肌に合って、そこそこ続けている。

 胸がデカい。小学校4年頃から大きくなり、中1でFカップあった。最大瞬間風速はIカップだが、今は加齢でわりと萎んだ。
 向こうから来る奴にじろじろ胸を見られたり、すれ違いざまに「でかっ」と呟かれたりするのは日常茶飯事だったけど、胸の張りがゆるんだ30代半ば頃からだいぶ減った。年1回くらいはまだある。

表現の自由戦士』について

 巨乳表象を使った広告への批判を「胸の大きな女性が叩かれて(差別されて)いる!」と短絡し、批判者を貶して「巨乳の味方」のつもりでいるらしい奴ら、
 人権全般を疎みながら自由権を掲げ、広告含む表現への批判・批評を「表現物を焼く」「放火」「殴る」などと呼んでガチの規制との違いを考えもせずに黙らせようとし、女体のエロ表現を場所を選ばずに消費する権利こそが「表現の自由」だと主張する奴ら、
 少しでも気分を害したらイナゴのように群れて攻撃し、攻撃するにもネットミームを貼るか誰かのコピペを繰り返すか口コミレビューを荒らすことしかできない奴ら、
 が、心底嫌いで、その手の輩を『表現の自由戦士』と呼ぶことがある。
 他の人とは違う使い方かもしれない。

 『表現の自由戦士』は誤爆巻き込み事故の危険が大きく、不適切なラベルではあるため、他に何か呼び名はないものかと考えている。
 ラベリング自体は、ある傾向を持つクラスタを掴むために必須なので。

 山田議員の著書に掲載されたヤマーダとレドマツのクエストに敬意を表して、『表現の聖騎士』とかにしようかな。連合国の女リベーラを必殺技「行政監督拳」で倒し、いじめられていたかよわい女冒険者ゆうを助けてあげる、あの聖騎士ね。

【最新刊】「表現の自由」の闘い方 - 実用 山田太郎/赤松健(星海社 e-SHINSHO):電子書籍試し読み無料 - BOOK☆WALKER -

「表現の規制派」って、誰だ。

 呼び名といえば、「表現の自由派」対「規制派」という対立構造の名付けには、一方の価値判断が含まれてるよね。「大乗仏教」対「小乗仏教」みたいな。
 別に法的規制なんか求めていなくても、広告を批判したら自動的に「表現の規制派」ってことにされてしまう。
 ただ、これは「萌え絵」とか男性の性的視線に関わる広告表現に特有の現象に見える。
 たとえば、通勤客であふれる朝の品川駅のデジタルサイネージに「今日の仕事は、楽しみですか?」という文言が表示される人材系企業の広告が批判を受けて取り下げられた時は、批判者を「表現の規制派」と呼ぶ『戦士』『聖騎士』は少なかったように思う。


 「たわわ広告を問題視する人」の中には、ガチの規制派もいるとは思う。ワイセツな表現は公序良俗を乱すし、青少年の健全な発達を阻害するから、法や条例でガチガチに厳しく規制しろというような。政治家でいうと、山谷えり子とか高市早苗とかあのあたり。

 私はそのような規制派には賛同しない。表現への法的規制、権力による表現の自由の制限はできる限り少なくあることを望んでいる。多様な他者と合意を形成していく努力の中で、そのときそのときに妥当な自主規制及び配慮を行っていくのが望ましいと考えている。

 多様な他者が共存する社会の中で、自由には責任が伴う。「表現の責任派」「表現共存派」くらいのつもりでいる。

 




 さて、ここから先は具体的な性被害・ハラスメントの記述があるので、きつい方は次の見出しまで飛ばしてほしい。


性被害、ハラスメントなど

 記憶にある初の痴漢は小学6年生の春、バスに乗っていたら、後ろから手を伸ばしてきた奴に胸を触られた。隣には伯母が座っていた。その瞬間はショックだけがあって、されていることの意味が分からなかった。その時の天気や自分の服装、戸惑いなどの感情は今も覚えている。

 通学路に「ちかん注意」という看板がずっと立っていて、露出狂が出たらしい、という噂は絶えなかったが、逮捕されて罰を受けたという話は特になかった。
 知らない人の車に乗ってはいけない、と教わっていても、実際に声をかけられた人はどれだけいるのかな。周囲の女子は7~8割くらいは遭っていた。男の子のことは分からないけど、あるよね、きっと。

 通信手段のメインが固定電話と郵便だった時代、母や姉や私が出るといやらしいことを言ってくる悪戯電話が何度もあった。父が出ると切れる。

 電話といえば大学時代、私と姉は実家を出ていたけど、「お宅の娘をレイプして殺してやりたい」と男の声でまくし立てる電話が何度かあり、親が高機能電話機を導入。録音し、警察には相談したようだけど、被害届は出していないらしい。着信拒否設定をしてからはどうやら何事もない。
ところで、ナンバーディスプレイや着信拒否機能つきの電話機の普及で、個人宅の悪戯電話は絶滅したんじゃないかな?お客様センター等、応答者が切るに切れないことに乗じた悪戯電話はまだ多いと聞くけど。

 時代は戻るが中学生の頃、ちょうど(巨乳グラドルの)細川ふみえがブレイクし、男子によく胸をからかわれた。女子にもカップを聞かれたり触られそうになったりしたな。女子からのセクハラは20代の始め頃まで続いた。

 男子の中でスカートめくりが流行したのも中学生の頃。ちゃんと怒る女子に比べ、私はのろまだったので、よくターゲットにされた。流行はいつの間にか収まったが、やった奴らはクラスの男子の過半数を越えている。小学生のときに私を好きだと言ってくれた男子も加わったのが悲しかった。
 英語の授業に「母音」が出てきたときは、ニヤニヤ笑ってこちらを見る奴が大勢いた。気づかないふりをした。

 高校のときは、同じ学年で女子の制服(ジャージだったかも)が盗まれたと聞いた。ただ、この頃はクラス内のセクハラはなく、そこは快適だった。
 街の書店や図書館に行くと、妙に距離を詰めて密着してくる男たちがいて、気づいていないふりをして逃げた。幽霊や妖怪への対処法もそんな感じらしいね。
 店の入口で待ち伏せされて、「○○高の子だよね?車で家まで送ってあげようか?」もあった。逃げた。

 大学のとき、胸だけを盗撮された。知人から「出回ってたよ」と聞いた。服装や胸のサイズで分かったと。そうか、と思ったが何もできなかった。
 公園や美術館等に行くとおじさんたちによく声をかけられた。記念写真を撮ろうといって、馴れ馴れしく肩を抱こうとしてくるやつもいた。勝手に撮って、写真送ってあげるから住所教えて、とか。

 学生の間、賃貸物件で同居していた姉も胸が大きいのだが、彼女の被害もよく聞いた。何かの機会で壇上に立って話したら、感想に胸のことについて書かれていたりとか。電車内でお気に入りのワンピースに精液をかけられて、泣きながら捨てていたりとか。他にも色々。

 忘れられないのは、男に夜中にドアホンを何度も押されたことかな。ドアの前で何か大声を出していた。姉と涙目で身を寄せ合いながら、人生で初めて110番にかけたけど、指が震えてうまく押せなかった。お巡りさん達の聴取によれば、姉を見かけて尾けてきたんだと。被害届は出してない。警察官が、「もうしないよう、こちらでよく注意しておきますから」と言うので。

 幾つかのバイトもした。
 肩を抱きながら指導されたり(無表情でやんわり払い除けた)、社員に着替えを覗かれそうになったり(冗談だよと笑っていた)。
 ものを手渡しするとき、偶然を装って胸に触られたり(同じ奴だけに何度もやられればさすがに偶然じゃないと分かる)。二人だけのシフトのときに口説いてきたり。

 就職の健康診断のとき、レントゲン技師に、「そこに胸を載せてください」と言われた。思わずまじまじと見たら「あ、顎です」と訂正。周りの女性は微妙な表情をしていた。
 出張で乗った自由席の新幹線で窓側席に座ったら、ガラガラなのに通路側の席に座ってきた男に一区間のあいだ話しかけられ続け、降りざまに太腿を撫でられた。
 夜、バス停に一人で座っていたら、酔っ払った男に「大人のお付き合いをしませんか?」と声をかけられた。
 電車を乗換えてまでつけてきた男に「お茶しませんか。あなたみたいに痩せ過ぎじゃない人、いいなと思って」と声をかけられた(婉曲に言ったつもりか?)。
 自宅の近所で一度道を聞いてきた男(その時も髪がどうだのキモかったのですぐ切り上げた)が、後日待ち伏せして、「覚えてます?」と腕を掴んできたこともあった。走って逃げて、その足で交番に行ったけど相談止まりで、被害届は出してない。次にそんなことがあったらいつでも110番してほしいと言ってはくれた。


些細な攻撃 ※ただし些細ではない。

 私の胸が大きくなり出してから、
 男も女も、胸が机に乗ってるよと指摘してきたり(だからどうした)、
 縄跳びとかでジャンプしているところを凝視したり、
 ボインちゃんだのホルスタインだのあだ名をつけたり、陰で「ほら、あの胸の大きい子」と呼んだり、「○○が『胸っていうか単なるデブじゃん』と言ってたよ」と教えてくれたり。
 「だっちゅーの、ってしてみてよ」と要求したり、「(巨乳が売りのタレントの)○○とどっちが大きいの?」とか「何食べたらそんなに大きくなるの?」と聞いてきたり。
 「巨乳は栄養が胸に行くから頭が悪いんだって」という豆知識を無邪気に開陳してきたり、「で、感度のほうは?」と直球キモ発言してきたり。
 「あ、おっぱいが喋ってる」とかもあった。思い出すと芋づる式に思い出すな。

「巨乳」という珍しい生き物

 「巨乳」という珍しい生き物はまともな人間ではなくて、何をされても気にしない、許してくれる、どころか構われて喜んでいる、と思われているのかもしれない。

 今の若い子に、「たわわ」とかあだ名をつけられた子がいなければいいなと思う。身体の特徴をあげつらわれ、その部分が自分の代名詞であるかのように扱われるのは辛い。


黙っている、話さない=被害を受けたことがない、ではない。

 話を性被害に戻す。
 私一人がいま思い出せるだけでこれだよ。私は特別に悪質な被害には遭っていない。電車通学していた人のように、毎日のように遭っていた訳でもないから、被害体験としては軽い方だと思う。
 ちなみに、私は4つの地方に住んだことがあり、そのいずれでも被害に遭っている。被害体験のひとつは5つめの地方、旅行先の話だ。

 私も家族や友人・知人に何もかも話している訳ではないから、彼女たちが遭っていても、私が知らない被害もあるだろう。
それでもそういう話題になったら、「そういえば私も…」と少しずつ打ち明けてくれるか、自分のことは話さずただ聴いてくれる人ばかりで、私はそんな経験ないな、と否定する人は殆どいない。

 一度も性暴力の被害に遭ったことのない女性は殆どいないのではないかと思っている。遭わずに済んだ幸運な女性も、皆無ではないのだろうけど。


 警察庁の犯罪統計はそれほどあてにならない。
 私や身近な女性は様々な痴漢、セクシャルハラスメント、マイクロアグレッションを受けてきたが、被害届を出すに至ったことは一度もない。つまり、これらの出来事は、統計には反映されていない。
 痴漢の包括的な統計は平成18年からのものしかない。いなかった訳がないのに。それ以前は、統計を取るほどの問題だと思われていなかった。被害者が気にしなければ済む、ちょっとしたイタズラ、迷惑行為だってね。

 数年前、後輩の若い女性が飲み会の席で上司からセクハラを受けたことを告発し、上司が処分されたことがある。あの件はもしかしたら、厚労省か何かの統計には反映されたのかもしれないな。

 けれど彼女のようには声を上げられず、ただ諦めた人は数十倍いるはずだ。私もそうだし、そうする同僚や先輩を見てきた。

 黙っているからって被害を受けたことがない訳ではない。
 被害の傷が癒やされないまま生々しく残っていて、思い出そうとするだけで怖くて、語れない人もたくさんいるだろう。
 性被害を受けたのは女として隙があったせいだ、そんなことを話すのは恥だ、という圧力に口を噤んだり、「お前が痴漢に?お前なんか需要ないだろ」というゲスな決めつけに晒されたくない人もいるだろう。

 私は、後輩の彼女のような勇気を誰もが持てる環境を作っていきたいと思っている。

見えていないものの話。

 日経たわわ広告のイラストを見て、ボタンに気づく人と気づかない人がいる。

 微笑む女の子が右手に持ち、こちらに向けて(見せて)いるボタンのことだ。
 その部品が目に入っていても、どんな意味があって描かれているのか分からないから、「見えてない」んだよね。スマホの小さい画面だったりすると特に。
 胸の大きな女性には、気づく人が多いのではないかと思う。

 あれは胸の圧力で糸が緩み(あるいは切れ)、外れでしまったボタンで、だから左手でブラウスの胸元を押さえている。
 学校や会社についてからの事ならともかく、移動中に縫い付けていたら遅刻してしまう。恥ずかしくて、なぜか惨めで、焦る、普通ならそういう場面を、この広告は誰かの「素敵な一週間」が始まる場面として扱っているんだな、と伝わる。
 絵って、表象って、すごいよね。

胸の大きな女はマイノリティだ。

 「トリンプ下着白書」に、年間売上データから算出した、ブラジャーのカップ割合の推移のグラフがある。
Pink Rabbit Lingerie Blog|一般社団法人日本ボディファッション協会

 2018年現在、Eカップまでのサイズで92%を占める。Fカップは6.4%、Gカップは1.6%しかない。Hカップも項目としては準備されているが、グラフではもはや潰れて見えないし、数字も載っていない。
 トリンプは下着会社なので、商品ラインナップにないバストサイズはグラフに反映されていないはずだ。Iカップ以上の人(と、AAカップ以下の人)は、下着会社のデータの中にすらいない。

 「巨乳」はマイノリティだ。だから、
珍獣扱いして無神経な質問を投げかけても構わないと思うやつがいる。
 かわいらしい「萌え絵」で、恥ずかしい場面をほのぼのした場面のごとく描写しても問題ないし、怒られたら「なんで?嫉妬?」とニヤニヤ言い抜ければ済むと思っている。どうせ相手は「巨乳」当事者じゃないとなぜか信じ込んでね。
 てかなぜ嫉妬すると思った?お前のその認知はどこからきてんだよ。

 胸の大きな女性はただでさえ数が少ない。そして、不特定多数からいつでもどこでも性的に見られるのは嫌だ、と思う女性は、声を上げにくい。上げたが最後、巨乳フェチが寄ってきて被害体験すらオカズにし、おぞましい言葉を投げつけるからだ。私はもうだいぶ図太くなったけど、心の柔らかい、若い女性ならなおさら声を上げにくいだろう、と思う。
 マイノリティであるとはそういうことだ。


制服姿の女子高生は日本の華。

 比喩でどこまで伝わるか分からないけど、制服姿の男の子が笑顔でズボンのお尻を押さえているイラストがあったとするね。
 手で隠し切れなくて、ズボンの生地の裂け目から下着が少し覗いている。「今週も、素敵な一週間になりますように」
 これだったら、日経は広告掲載しないと思う。
 なんでズボンが破けたら素敵なのか、なんで微笑んでるのか、意味わからないし。
 仮に掲載してしまって苦情の声が上がっても、誰も「嫉妬?」「何が問題?」なんて言わないだろう。

 ブコメで書いたことがある。

少女がチアリーダーや応援団の格好でキメポーズ取る絵だったら、たわわ広告も今より批判は少なかったんじゃないかな。少女の行動から直接「不安なんか吹き飛ばすから、元気になって」のメッセージが伝わるので。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4718589194699535362/comment/nowa_s


 別にこうするべきとかじゃなく、違和感を減らすなら、ってことね。

 日本ではみんな、制服姿の女子高生が大好きってことになっている。
 制服姿の女子高生は、見ているだけで励まし・癒やしになる、無難なアイコンということになっている。
 (通学中に胸元のボタンが外れたにも関わらず、平然と)微笑んで、少し身体をひねって立っているだけで。

 女子高校生の表象を、単に高校に通う女性ではなく、なにかステキなものを詰め込んだ青春のアイコン、「女子高生」「JK」にしてしまっている。

そうか、本当にわからないのか。

 最初に掲げた表の、

  • 男性目線のいやらしさ
  • 不快
  • 新聞広告として不適切

の男女別の結果は予想外だった。実際に計算するまで、こんなにも見えているものが違うとは思っていなかった。

 たわわ広告のイラストに含まれる男性の性的視線に、女性の45.6%は気付くのに、男性は22.5%しか気付かない。
 男性の5.8%しか不快に感じない絵を見て、女性の23.5%は不快に思っている。
 これはたわわ広告を対象にした調査なので、他の案件(宇崎ちゃんとか、アツギとか、みちかとか)でどうなるかは分からないけど。

 さすがにここまでの差異があるとは認識できておらず、「分からないって、とぼけてんのか?」くらいに思っていた。どうも本当に分かってないらしいと気づいたのは「たわわ」広告以前ではあるんだけど、SYNODOS調査の分析(のようなもの)で、「いや、本当に分からないんだよ」と分かったのは収穫だった。

違いはなぜ起きるのか

 人は、この広告のどこを見てなぜ不快に思うのか、どこに男性目線のいやらしさ(性的な視線)を感じるのか。その詳細まではこの調査結果からは分からない。

 一言に不快といっても、中身は一様ではないはずだ。
 「性的=悪、はしたない」からなのか。
 自分には縁のない、「若者向けのマンガっぽくて低俗な絵柄」だからなのか。
 胸元から外れたボタンを見せて何故か微笑んでいる、理解しがたい姿を見せられたからか。
 性的なイラスト表現は好きでも、脳みそがそういうモードになってないときにぶつけられたからか。
 いろいろだと思う。

 性的と、不快と、不適切の値が必ずしも一致しないことも興味深い。人は様々な観点から何かを判断し、態度を決めている。

 もう少し詳しい視点からの考察は、上に貼った増田のリンクを見ていただけると。そんで、SYNODOS記事の調査結果についてより妥当な解釈があれば、ぜひシェアしてほしい。

 男性目線のいやらしさ、男性の性的な視線の感じ方の男女の違いについては、少し考えるところはあり、いつか記事にできたらと思う。


おわりに

 読んでくれた方が、見えてこなかったもの、見えてないもの。それが少しでも見えてくる一助になれば、幸いです。

 そしてできれば、少しでもこの記事を興味深いと思ってくれた人が、見てきたものを共有してくれると嬉しいです。センシティブな記憶も含まれるでしょうから、決して無理はせず。

 多様な個人が共生する社会から、「見えないところ」を減らしていければと願います。

おまけ。

 ところで、id:Shin-Fedor さんと id:sametashark さんのやりとりは、「たわわ」広告がネットで賛美されていたかどうかが発端だった。

 SYNODOSの田中氏の調査では、問題があると思うか?不快か?新聞広告として不適切か?は質問してても、
新聞広告として適切か?高く評価するか?の質問はないんだよね。
 ので、ポジティブな評価(賛美)がどれだけあったのかは分からない。

 もし、日経新聞であの広告を見た人は誰もあの広告に積極的な好感を持っておらず、精々「問題なし、どうでもいい」レベルで、直接は『月曜日のたわわ』という漫画の売上に繋がらない、なら……。
 一部の不快を買ってまで「萌え絵」広告を出す広告主は今後、どれだけいるんだろう。

 ちなみに、日経の閲読層はこちら。40代以降の中高年層が多い。男女比は不明。
メディアデータ・読者属性 | 新聞広告 | 日経マーケティングポータル
 具体的には、40代以上は日本人全体では63.4%だけど、日経の閲読者では74.3%。いわゆる「老害」寄りになってる。


 「たわわ」広告は、広告媒体である日経新聞の閲読者に売れるかなんて関係ない、不快と違和感を煽る炎上商法に過ぎなかったのかな。
 外野が憎悪を投げつけあって、その騒ぎで知名度が上がればいい、というのが広告サイドの狙いなら、そういう邪悪な手法を私は憎む。

 青年コミック誌のえっちなセックスファンタジーを、わざわざ日経新聞に引っ張り出して、何ヘイト集めさせてんの?
 広告によって、ファンになりようもない人にまで広く届けなければ、作品までが「気持ち悪い」という評価に晒されることもなかったのに。
 広告表現に含まれる性的要素があの程度だったら浮かないような、ファンになりそうな人が多い媒体に広告打ってあげればよかったのに。
 日経みたいな、ビジネス関連の情報を求める老若男女が読む媒体じゃなくて。

 広告は暴力的な行為だ。見る人の注意を奪い、メッセージを伝えようとする。広告表現の受け手にとっても対しても、広告の対象(今回は漫画)にとっても対しても、敬意とか配慮ってものは必要だと思う。
 私自身は『月曜日のたわわ』という漫画を全く評価しないが(女子からのえげつないセクハラが最悪で無理、胸で悩んだり吹っ切れたりする過程さえオナネタのスパイスにしてるように見える)、正直、気の毒に思うよ。


おまけ2。

 実際に当日を含む5日分の日経新聞を取り寄せたid:hepta-lambdaさんの記事より

マジでこの手の騒ぎにおける「俺/私が認めたやつだけが女」ってやつ死ぬほど嫌い。一番嫌い。ふざけんなって思う。

「月曜日のたわわ」広告、実際に日経新聞の紙面を見た感想(ブコメ返信追記その3まで) - hepta-lambda’s blog

 それーーーーーーーー。ほんとそれですよ。
 私が表象(representation)の問題に関心あるのも、ずっとそれなんだと思う。
 他者の目線ではなく、自分に近い目線の表象が少な過ぎるんだ。


これも自分のブコメから。

私も私のデカ胸をいやらしいものとは思わないので、大きな胸を持つ女性の多様な表象が溢れるといいなと思う。AKIRAのチヨコとか、ラピュタのドーラとか、森薫

https://b.hatena.ne.jp/entry/4718649122410368834/comment/nowa_s

大きな胸を性的に描く表現を新聞や公共広告に使わないでほしい」(性的でない表現をしてほしい)を「巨乳を公の場に出すなってことか」に翻訳して「表現の自由だ」で論破したがる人がいるうちは、悲劇は続くと思う 

https://b.hatena.ne.jp/entry/4718722251248215714/comment/nowa_s