日経たわわ案件の中間報告① 概括と展望
また月曜日がきましたね。今のところのまとめ。
前説
炎上案件の構造、骨格
「企業が、本業の品質以外の部分(広報企画、役員発言など)で、企業としての姿勢や顧客への認識を問われた案件」を炎上案件と呼ぶことにする。
報道の誤報やデマ、リコールや食中毒、産地偽装などの「本業の品質」の問題とは分ける、ということ。公害や事故発生時(三幸製菓、遊覧船)の対応、労働者の権利の侵害(Amazon、花畑牧場等)なども。生命や法的な問題も絡んでくるシリアスな問題だ。これは「炎上案件」で済まない。
また、当ブログでいう炎上案件は、問題となったのが役員や代表といった企業の顔となる人物の言動によるものに限定する。質の悪い従業員による、いわゆるバイトテロ(先日も弁当屋店員の迷惑行為が報じられた)のようなとばっちりは除く。
それでも膨大な量になって、とても把握しきれない。一週間に一回は起きてそうだ。
なので、当ブログでは、炎上事件案件の中でも主に「表象」、特に絵やイラストとして表現された女性の表象が絡む案件をメインに取り上げていきたいと思う。
吉野家のような言葉による表象、ルミネのような実写映像と言葉による表象などは、サブ的な比較材料として捉えていくことにする。
ちなみに「表象」とは、絵や像や言葉や物語と概念を結びつけるものをいう。
萌え絵という「絵」=表象としての「萌え絵」=萌え絵で表象される「女性・少女」のように。
絵や像や言葉や物語と、それで表される概念が、表象の働きで三位一体のように結びつく。
5/4の記事で吉野家ケースを取り上げた理由は、実は主に「たまたま時期が近かった」なんだけど、表象の話ではある。「取り込みを狙う女性客層とは、田舎出身の生娘」「吉野家のメニューは、男に高いメシを奢られるような女は絶対食べない」「常連客は家に居場所がない人」という、言葉による表象だ。サントリー社長による「東北熊襲」発言(1988年に「東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」と発言して不買運動が起きた。今も尾を引いてるらしい)とかもこれかな。
日経たわわ広告の概略。
炎上案件の5W1H
5W1Hという概念がある。
「いつ、どこで、誰が、なぜ(何の目的で)、何を、どのように(どのくらい)」という、情報を漏れなく把握するための便利な枠組だ。「誰に向けて」も入れた方が分かりやすいかも。
表象炎上案件では、「いつ」はそこまで論点にならない。歴史や事故・事件が絡むとあるかも(原爆投下の日にディズニーが「何でもない日、おめでとう」とツイートなど)。
また、「どこで」もあまり意識に上ってこなかった。これまでの広告・コラボ炎上案件にはあまり見られなかった日経たわわ広告ケースの特異性は、「どこで」つまり広告媒体が着目され、更に、主体としての広告媒体の姿勢が問題視されたことだ。
赤十字と宇崎ちゃん(第一弾ポスター)のケースでは、「赤十字が、献血者募集のために、不特定多数に向けて、献血未経験なんスか?ひょっとして…注射が怖いんスか〜?と煽る巨乳女子の萌え絵を使って、PRした」。
赤十字という公共公益団体が主体であること、絵に含まれるMG要素に加え、献血経験がないことや注射恐怖症の人を煽るような文言が問題視された。場所は赤十字の献血室だから、主体と一緒。
日経たわわ広告はなぜ問題視されたのか
「講談社(ヤンマガ)が、漫画『月曜日のたわわ』の単行本/連載を、販促・知名度向上のために、ミニスカ制服姿の巨乳女子高生の萌え絵を使って、広告した」。これは普通、問題にならない。これがダメなら広告は死んでしまう。
ただ、ここで「どこで」「誰に向けて」が効いてきた。広告の掲載が、「日経新聞朝刊の全面で」「日経閲読者(日経新聞のステータスを考えれば、日本社会、社会の構成員の不特定多数)に向けて」だったから。
日経たわわケースでは、主語が日経になってしまった。「日経新聞が、ミニスカ制服姿の巨乳女子高生の萌え絵を、講談社のソフトエロコメ漫画による広告収入を得るために、全面で、掲載した」。そのことによって、企業としての認識・姿勢が問われた。
MG要素の濃度により、MG要素の感知に個人差があり、表象の働きを認識しているかどうかにも個人差がある。その組み合わせが、もともと個々人が持っている価値観と組み合わさり、多様な意見が出力される。
「日経たわわ広告」は、高校生という未成年に性的視線を向けることの是非、性的な要素のある絵なのかという判断、制服姿の女子高生のアイコン化、広告される作品(表現の自由)と広告(表現の自由の制限)の関係など、論点が多く、複雑なケースになっている。
※「何の目的」について。たとえば高校の生徒募集や制服メーカーには、たわわ絵は採用されないと思う。コスプレ用品とかの趣味系、イメクラとかの性風俗産業なら採用はあると思う。ちょっと刺激は弱いけど。「どこで」については、たとえば同じ講談社の週刊モーニングや月刊アフタヌーンの雑誌内広告だったら全く問題なかったと思う。BE・LOVEやデザートなら、たぶん掲載されなかったと思う。読者層が全然違うから。
で、MG要素って何なんだよ。
SYNODOSに掲載された調査の表現だと「男性目線のいやらしさ」。「男性の性的視線」「男性向けのえっちさ/エロさ」、Male Gazeと言ったりもする。いわゆる「まなざし」。
これは説明が難しいのだけど、幸い、日経たわわ広告の場合は使えるデータがある。田中辰雄氏が行った意識調査だ(SYNODOS掲載)。
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか/田中辰雄 - SYNODOS
※上記記事よりid:nowa_s作成。
つまり、この反応の差をもたらすものをMG要素と呼ぶ。学術用語ではなくて、自分なりの考察や説明の便宜のために作った、Male Gazeの頭文字語だ。
MG要素を感知するメカニズムについては、今後の記事で書いていきたい。書けたら。
今は「そういうものがあるのだな」くらいに捉えておいて下さい。
MG要素の判定
MG要素が一定以上高いまたは低いときは、<s>男女で</s>多くの人の反応が一致するため、あまり問題になりづらい。問題になるのは主に、中間に属する場合だ。明確な基準や測定法が確立しているわけではないので、意見や感覚による反応が分かれやすいし、他人の意見や感覚が分からない。
反応は個人差なのだが、個人が集まって集団になると傾向に性差が出てくる。
MG要素・高
アツギケースでは、薄暗い部屋でメイド服姿の少女が自らスカートを捲り上げ、タイツに包まれた太ももを見せている絵など。25点あったイラストの中でも、他のイラスト群より早いタイミングで非公開になった。『月曜日のたわわ』単行本4巻の表紙のように、「胸を後ろから両手で鷲掴みされ、驚いた表情をする女子高生」の絵だったら、たぶん日経の広告審査を通らなかったと思う。
MG要素・低
アツギケースでは、暖かそうなタイツを履いた女の子が笑顔でジャンプしている絵など。女性向けファッション誌やコミック誌に掲載されていても違和感のないイラストも実は多かった。
他の類似ケースでは、三越と艦隊これくしょんのコラボ案件など(今年で7回目だったらしい)。
もうあるのかは知らないけど、ウマ娘が女性向け商品とコラボしたらここになると思う。ウマ娘はもともと、馬主感情に配慮してMG要素が薄いので。紅茶飲料を体液に見立てたりするような非常識なファンが少ないのは、こういうとき安心できそうだ。
前記事にも書いたけど、「ウマ娘基準」とかあってもいいかもしれない。「この絵、もしウマ娘なら、馬主さんに見せられる?」みたいな。
MG要素・中
アツギケースの多くのイラスト。見る人によってはいやらしい、見る人によっては特別いやらしくない、という、判断が分かれるイラスト群だ。
日経たわわ広告の絵もここ。新聞朝刊の広告として許容範囲になるよう、かなり性的要素を抑え、仄めかしに留めようとしているけど、それでもやはりMG要素を感じる人はそれなりにいた。上記の表のとおり。
萌え絵のとりあえずの定義。
「萌え絵=MG要素が一定以上含まれる、オタクっぽい今どきの絵柄で女性や少女の姿態を描いた、漫画・アニメ的な絵」。このブログ、及び私の中での定義です。
男性や少年の姿態を描く萌え絵も存在はすると思うが、話が広がりすぎるのでいったん措いておく。
ところで、この「オタクっぽい」というのも、言葉による説明が難しいのだけど…
- 凹凸や陰影が目立たずなめらかで、幼くあどけない印象の顔。
- 髪や布の描線が繊細で美しく、タッチに強弱が少ない。
みたいな、濃くて重くてリアルな感じの劇画風、筋肉を強調したツンツン髪の少年漫画風、瞳に星が飛び交う古の少女漫画風、簡略化された絵柄のエッセイ漫画風、オシャレ雑誌のコラムの挿絵風…などとは違う、最近主流の絵柄ということ。
何かすっきりした説明法や用語があればぜひ教えて下さい。
萌え絵への反発・拒否感はオタク嫌悪から?
萌え絵は基本的に、MG要素を含むだけの、若い人が好きそうな「オタクっぽい今どきの絵柄」だ。だからこそコラボや広告に採用されるし、だからこそ捉え方に齟齬が出れば炎上案件になる。
画風が古くて高MGの、たとえばなめくじ長屋奇考録というサイトで収集されているような昭和エロ劇画的な絵柄だったら、広告への反発・拒否感はこんなもんじゃないと思う。
オタクっぽさが問題なのではなく(それは既に一般的だ)、MG要素、男性目線のいやらしさが問題だということ。
日経たわわ広告の影響
ハトクロ
日経「たわわ」広告に絡み、よく分からない経緯で胸の大きな女性向けアパレルメーカーのハトクロが新たな炎上案件となった。謝罪対応済にも関わらず継続中だが、代表の法的措置発言で少しは落ち着いた…のかな?あまり経緯は追ってない。
①「たわわ」の絵は、性的じゃない私たち
ざっくり説明すると、ハトクロ代表の黒澤さんは、たわわ広告絵にMG要素を感じなかった43.9%の女性群に属する。表象の働きを認識している。
「たわわ絵は性的ではない」=「たわわ絵のように胸の大きな女性も、それだけでは性的でないと解釈。
「未成年含めて(本人の意思で)異性を性的な魅力で応援してもよい」「未成年を性的に見ることの何が悪いか分からない(外に出さなければ)」という思想。たぶん。
人と違っても、自分の思いや考えを率直に言う。話し相手の負の感情が届きづらい。怒りにもしれっと対応、涙には「泣かれても…」と反応してしまいがち。黒澤さんは、(私と同じ)宇宙人タイプだと思う。たぶん。
②「たわわ」の絵は、性的に見られる私たち
ハトクロに対して苦言した顧客、黙って離れた顧客は、MG要素を感じた45.6%の女性群に属する。こちらも表象の働きを認識している。
「たわわ絵は性的である」=「黒澤さんは、胸の大きな私たちを、たわわ絵のようにMG要素を多く含む存在、男性に性的に見られるための存在だとみなしている」と解釈。
これまではマイノリティの女性しかいなかったハトクロの世界に男性が侵入・乱入してくることに反発するも、非当事者と思っている男性に「どうせ顧客じゃないくせに」と当事者性を否定され、更に激しく反発。
③「たわわ」の絵は、俺らの入場許可証
侵入・乱入した男性たちは、MG要素を感じない多数派(68.2%)のAと、感じ取る少数派(22.5%)のBに分かれる。
Aは、萌え絵そのものにMG要素=「男性向けのえっちさ」「オタクっぽさ」が含まれることに無自覚なまま、その濃度がさほど高くはないために「たわわ絵は性的ではない」と感じる。言い換えると、「自分たちオタクの男向けの(えっちな)絵だが、脱いでもないし、取り立てて性的というほどエロくない。」
MG要素に気付くBは、「自分たちオタクの男向けのえっちな絵だ。しかしエロくて何が悪い?」
どちらも、表象の働きを無意識下では認識している。意識の上では、認識しないCと認識するDに分かれる。割合は不明。
C「絵は絵、漫画は漫画じゃないか。現実とは別だ」D「現実の女性には、たわわの女の子のように、男を性的に応援したがっている人もいる。たわわの女の子のように、現実の未成年を性的に見てもよい。見るだけなら」という反応になる。
男性たちAとB、CとDは、お互いスタンスが反対にも関わらず、お互いを否定することはしない。が、批判的な顧客のことはそれぞれの根拠で否定する。
いずれも、黒澤さんがたわわ絵を「性的と感じない」と言及したことで、萌え絵であるたわわ絵に含まれる「男性向けのえっちさ」「オタクっぽさ」は女性にとって許容範囲内だと認識。表象の働きにより、オタク男性もハトクロの世界に招き入れられた、入場許可証をもらった、と感じ、当事者性を得る。
萌え絵という入場許可証を持つ当事者として、自分の当事者性を否定する従来の顧客に激しく反発。
ここまでの心の動きが言語化されている訳ではないため、批判的な従来の顧客の当事者性を否定しようとして、「お前らどうせ顧客じゃないくせに」とジャッジする。
入場許可証である萌え絵は、「男性向けのえっちさ」と「オタクっぽさ」を併せ持つ絵画表現であるため、入場許可証の交付への反対に対して、「少しのエロさも許せない性嫌悪」「絵を弾圧する表現の規制派」「オタクの敵・フェミめ」と感じる。
そして泥沼へ
こういう①②③の三者の流れに、様々なスタンスの顧客・外野が加わり、未成年を性的に見ることの是非、内心を(視線や絵や言葉で)表現すること、胸の大きな女性がマイノリティであること、国連機関の関与や報じたメディアへの反感などがいろいろごちゃごちゃになって、泥沼の戦場になっているようだ。
終息、するのかな。
※ちなみに、女性で男性向けエロや萌え絵が好きな人はわりとB✕Cのパターンが多い気がする。
絵の中のえっちな女の子はえっち、現実の女性は女性(自分は自分)、って感じで切り離している。アツギの女性担当者もこのパターンだったのでは、と推測している。
ただ、作品ならそれで全然構わないのだけど、萌え絵を使った広告では、表象が強く働くんだよな……。
本編への反応
広告は漫画『月曜日のたわわ』新刊発売告知と販促のためのものなので、日経たわわ広告が話題になったのをきっかけに新たに手に取り、読んだ人は多いと思われる。1巻相当分が無料公開されてたし。
ただ、漫画作品としては、女子高生や新人社員に向ける巨乳フェティッシュを、荒唐無稽な有り得ないエピソードで描いたセックスファンタジーなので、万人受けする作風ではない。
お好きな人がひそかに楽しむ漫画ならともかく、一般的な老若男女の目に触れたらかなりキツい反応(「気持ち悪い」「キショい」とか)が返ってくると思うし、きてた。
それは講談社の広告媒体選びの誤りだったと思う。『たわわ』という作品を届けるべきではなかった人にも届いてしまい、貶されなくてよかったのに貶されてしまった。炎上狙いだったなら知らんけど。
これはハフポストの取材への回答(引用元の記事は下記にリンクあり)。
ネット上で相次いだ批判を踏まえ、講談社はハフポスト日本版の取材に「この度の広告は新たな読者開拓のため新刊発売に合わせて出稿いたしました。いただいたご意見については真摯に受け止め、今後の宣伝展開に関して十全の配慮をしていきたいと思います」と回答した。
議員とかの反応
なんか満面の笑みで「たわわ買ったよ」アピールをした男性参院議員(比例)がいた。アピール勢には女性市会議員もいたらしい。選挙は近い。
この行為が批判されたとき、「漫画を読む(買う)だけで非難されるのか」といった反応があったが、実際の議員の行動は「読む(買う)だけ」ではなく、「読んだ(買った)と写真つきでネットに投稿し、アピール」だ。
その行為をどう評価するかは別として、「買う」「買ったとアピール」は区別をつけるようにしたほうがいいと思う。
それをごっちゃにすると、思想と表現、内心と行為の違いも分かりづらくなる。
展望
たわわ案件は継続中だ。
日本経済新聞社は当初、ネットの批判に答え、ハフポストの取材には「様々なご意見があることは把握している」と回答した。
が、その後明らかとなった、国連女性機関がアンステレオタイプアライアンスの共同設立者としての立場に基づいて送った抗議にどう答えたかは、外野の我々には知らされていない。
「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは? | ハフポスト NEWS
より引用。
日経新聞の広報室はハフポスト日本版の取材に「今回の広告を巡って様々なご意見があることは把握しております。個別の広告掲載の判断についてはお答えしておりません」とコメントした。
日経新聞はUN Women 日本事務所と連携し、ジェンダー平等に貢献する広告を表彰する「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」を主催するなど、広告のジェンダー平等化を推進する立場に立ってきた。
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議。「外の世界からの目を意識して」と日本事務所長 | ハフポスト NEWS
日経新聞社が、社として共同プロジェクトを進める相手、しかも国連機関の抗議をガン無視・黙殺することはあり得ないので、連休明けから遅くとも夏ごろまでに日経は態度を明らかにするのではないかな、と思う。
国連女性機関との共同プロジェクト、「日経ウーマンエンパワーメント広告賞」の第3回が控えているはずだからだ。昨年実施された同賞の第2回は、5月に募集開始で8月締切、9月に結果発表、11月に授賞式だった。
この広告賞が中止になったら、そういうことなんだな、とは思う。国連女性機関との連携を解消し、アンステレオタイプアライアンスを抜けるんだな、と。自分としては、日経がその道を選ぶとはあまり思ってない。
参考↓
第2回日経ウーマンエンパワーメント広告賞が決定:日経xwoman
第2回「ウーマンエンパワーメント広告賞」受賞作、優秀作を一挙紹介:日経xwoman
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ブクマへ。
当ブログでは、「意見の内容」への反応はidなし、「特定の人」への反応はidありでの引用を基本としています。
idありは、何かの感情表明ではなく、単に「その人」あてというだけです。
ご意見ありがとうございます。
勝手に怒ってろというスタンスだと相互理解には遠いと思う。露悪的な人間にも一定は性善説で対話しないと、自分も武器商人になってしまうよ。「なぜ鬼になってしまったのか」を理解しようとするのが大事だと思う
ご忠告ありがとうございます。
言葉に含まれる負の感情を受け取りにくいというだけで、言葉の内容はいちおう受け取ってるつもりではいます。相手が怒ってても、泣いてても、好意的でも、ニュートラルな感情表現でも、同じことを言ってるなら同じように受け取る、ということです。
記事でいう宇宙人は、負の感情表現について、相手も自分と同じように対処すると考えがちなところがあります。涙による罪悪感で相手をコントロールしたり、怒鳴って威圧して言うとおりにさせたり、「そんな子は嫌われるよ」と脅したりはしません。こっちが怒ってるのは怒ってるだけ、泣いてるのは泣いてるだけ、嫌いなのは嫌いなだけ、です。
他の人が対人関係で宇宙人的に振る舞ってるのを見るとハラハラするんですが、自分のことはどうにもです。
鬼・悪魔系の人が「なぜ鬼になってしまったか」は、理解できればとは思うのですが、なにぶん拒絶感があって理解が進みません。今のところ、実態の観察どまりです。
怒りの感情は素直に書いたほうがいいと思う派です。感情を感情として自覚的に書いた文章に「お気持ち」みたいな揶揄は通じない。半端に理論武装して本筋以外でツッコミが大量発生してるケースをわりとよく見る印象
感情は感情、理屈は理屈として、分けた文章のほうが読み手に伝わりやすいはずというのは理解できるのですが、不器用なもので、長文を書くときはこういうスタイルのままだと思います。重ねて、ご忠告ありがとうございます。
この場合の当事者性を持つってのは、ネット上に機微情報(自分は胸が大きな女性である)をカムアウトしなければいけないってことなので、不問にする空気を形成しないとまずいことになる。マイノリティに不利なんだよ。
「お前は巨乳/ハトクロの客じゃないくせに。貧乳の嫉妬」みたいなジャッジをされたら、それを言われたほうが否定する(自分は当事者だと証明する)には、自分のマイノリティ性を明らかにしなければならなくなりますもんね。
なので、二重のジャッジ、「お前は巨乳じゃないくせに」と「胸の大きな女/ハトクロの客でなければ口出しする資格はない(当事者以外は発言するな)」を無効化していくことが大事かと思っています。
「ジャッジする奴は無視でいい」みたいな感じで。
表現の自由は公権力からの自由のみを指すと本当に思ってるのなら「誰が何を語れるのかというのは、基本的には言論の自由、表現の自由です。」という発言は出てこないだろ
言わんとする趣旨がうまく掴めませんが、ちょっと説明しますね。
誰が何を語るのも、書くのも描くのも、そもそも全てが自由です。それは公権力に「その表現は犯罪(有害)だ」として制限されるべきではありません。ただ、言論含む表現が他者の権利と衝突するときは、公共の福祉を考えて調整する必要が出てくるということです(名誉毀損、著作権侵害など)。
前に書いた記事ですが、よければお読みください。
突っ込みどころがあれば教えてくれると助かります。
id: kingate
殺す、はアンタが言い出した表鬼だからだよ俺が。俺は「殺されるまで俺のしたい表現を止めないよ」の人。幸いなるかな俺は表現で飯を食ってるのでそこまでは至らないけど、金が絡まないなら殺されるまで止めないよ。
kingateさんが名乗られるのは自由ですが、私から見える範囲のkingateさんは『表鬼くん』ではないです。「軍団」的な感じや、イキった攻撃性が薄いので。
したい表現は、世界中を敵に回しても、それこそ殺されるまでする、のが純粋な表現の自由だと思います。自由は厳しい。
ただ、いつでもどこでも許される訳ではなく、特に、創作作品そのものを届けたい訳ではない相手にも届いてしまう広告・PR案件では、広告の受け手と作品の作り手、双方への配慮と敬意が必要だと考える、というのが私のスタンスです。
大体の案件では広告屋が悪い。と思ってます。
LARMEの話、面白いですよね。LARMEの読者や頓痴気ちゃんのファン、衣装のブランドのファン的には面白がってる場合じゃないんでしょうが。
(あの服はあんな着方のための服じゃない。デザイナーへの冒涜だ、みたいな怒り方の人もいました)
私もファッションには疎いです。お話の機会をお待ちしてます。
---追記。2022/05/09 16:36
文意が変わらない範囲で補足。
目次もない長文で読みづらいのはすみません。いずれパソコン買ったらなんとかしたいです。今はスマホしかない。
---追記2。2022/05/10 1:22
文章を少し編集(場所の入れ替えなど)。ブコメの指摘を受け、黒澤さんのツイートへのリンクを追加。